みなさんご存知のIKKOさん。
肩書きは「ヘアメイクアーティスト」「ビューティーディレクター」「タレント」「書家」と多才です。
「書家」としては、雅冬炎として活躍されています。
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この記事では、「IKKOの人生を変えた「人」は逸見政孝さん金言・名言集とは」と題してまとめます。
IKKOプロフィール
IKKO IN AKITA !
— 有吉弘行 (@ariyoshihiroiki) August 13, 2019
DONDAKeeeee!
SEOINAGeeeee!
SUKKALAKECCiiiii ! pic.twitter.com/BrwKvT6XIs
まずは、IKKOさんのプロフィールから見てみましょう。
本名:豊田一幸(とよだ かずゆき)
別名義:雅冬炎(みやびとうえん)
生年月日:1962年1月20日
年齢:62歳
出生地:福岡県田川郡福智町
身長:171cm
血液型:A型
職業:ヘアメイクアーティスト・メイクアップアーティスト・ビューティーディレクター・タレント・書家
活動期間 1992年[要出典] –
受賞歴:ユーキャン流行語大賞「どんだけー」(2007年)TOP10入り
IKKOの年収を上げた「人」は、だれ?
数年前の情報になりますが、IKKOさんの年収は3億で、税引き後の手に残る金額が1億5千万といわれています。
IKKOの年収を上げた「人」と書きましたが、正確に言うと、IKKOの人生を変え、その結果、年収を上げた「人」です。
IKKOさんに大きな影響を与えたのは、逸見政孝さん。
逸見政孝さんとの出会い
#子供の頃の勘違いをあえて言おう
— kaneta sana師匠(17)@危険なふたり🎶 (@shingo_LOVE_kei) August 14, 2019
逸見政孝さんのことを東京都出身だと思っていた。
(実際は大阪府出身) pic.twitter.com/ZiwP6MvD4p
1989年(27歳の時)、人気美容師として活躍していたIKKOさんはフリーのヘアメイクアーティストに転身。
一方、この頃、逸見さんはレギュラー番組を多数抱える売れっ子フリーアナウンサーでした。
IKKOさんは、逸見さんの妻・晴恵さんと仕事で知り合い、逸見さんの専属ヘアメイクの依頼を受けるようになった。
その後、IKKOさんの仕事は軌道に乗り、1992年(30歳の時)、「アトリエIKKO」を設立。
ヘアメイクを数多く手がけ、メイクプロデューサーへの道も進んでいきました。
逸見政孝さんの金言・名言
ある日、IKKOさんが逸見さんに
「どうやったら人生を成功できるんですか?」
と尋ねると、
みんな平等に成功のチャンスはあると思う。
1週間に1回しか来ないバス停でバスを待っている時もあれば、1時間に何本もバスが来る時もある。
だからといって1週間に1本だからと言って飛びついてもいけない。それを見極める“審美眼”を養わなければダメだと思う。
と語り、
やみくもにチャンスに飛びつくことは失敗の原因となること
教えてくれたそうです。
さらに逸見さんは
波(チャンス)が来ても、(波に乗る)実力がついてなかったら波から落ちてしまうから、日々精進することだと思う。
努力と見極めが揃えばどなたでも成功すると思う。
と、IKKOさんにアドバイスしてくれたそうです。
まとめ
現在「ヘアメイクアーティスト」「ビューティーディレクター」「タレント」「書家」と多才な活動をしているIKKOさんについて、その人生を変えた恩人ともいえる「逸見政孝」さんとの関係についてまとめました。
書家の一面などは、意外な一面でもあり別記事にまとめています。
是非ご覧ください。
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経歴や肩書きもスゴイけど、流行語「どんだけ~」のインパクトが大きいわ!笑